【能代市】8月6日・7日 能代伝統「役七夕」の運行を決定したみたい!

【能代市】8月6日・7日 能代伝統「役七夕」の運行を決定したみたい!

【能代市】8月6日・7日 能代伝統「役七夕」の運行を決定したみたい!

abokado
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8月6日(金)・7日(土)に能代伝統「役七夕」の運行が決定したみたいです!

2年ぶり「役七夕」運行決定
 能代伝統「役七夕」で今夏の当番・柳若組は17日夜、能代市松美町の松柳会館で運行連絡協議会を開き、8月6、7日の運行を決めた。新型コロナウイルス感染拡大によって昨夏は運行を断念したが、他の町組の理解を得て今夏に延期し、3月から再度協議を進め、運行を前提に準備してきた。新型コロナの影響で人員は限られるが、感染防止対策を講じた上で、大丁として運行を取り仕切る新柳若と住若が通常の形態である城郭灯籠で、4若がシャチ灯籠や高張ちょうちんのみで運行。経路や所要時間を短縮して練り歩く。ただ、新型コロナの動向によって運行を取りやめる場合もあるとしている。

引用元:北羽新報

能代役七夕(ねぶながし)

役七夕

能代の七夕行事は前述の『奥のしをり』天保13年(1842)にも記述されているとおり、江戸時代から五町組を呼ばれる町人組織により年番制により行われてきました。
年盤制度の内容には多少変化もありましたが、明治18年までは交互に、翌年19年からは五町組による年番制となり、現在も引き継がれています。
年番にあたる組の町(おおちょう)内間でもその年の代表となる町内を大丁と言い、年番制の他町内は加勢丁として行事を担います。年番にあたる町内は、それぞれ重要な役目を担うことで能代七夕は成り立ってきました。
そこから役七夕という呼称が生まれたと考えられます。

役七夕という呼称は、萬町(あらまち)の呉服商相沢金一郎の明治30年の日記に初めて見られるものです。「萬町当番なり。役七夕は大町村上与兵エの作にて五丈なり。宮島の景なり」とあります。また俳人である河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が能代を訪れた際には明治40年の私信に「役七夕といって、鯱鉾(しゃちほこ)を乗せた大灯籠を作るのは萬町の当番・・・」とあります。
明治後期に役七夕の呼称が使われていたことがわかります。

【公式サイト】
http://bunka.welcomenoshiro.com/culture/noshiroyakutanabata/

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